SCOPEの元編集長、西寺桂子氏の単行書である「医師の死角、患者の死角」を拝読した。
医療者が最近医療問題についてようやく公に意見を述べるようになってきているが、医療者側から投げられたボールに対して、医療を受ける立場からの返答のように感じられる著作である。
個々の医療をめぐる問題が患者側と医師をはじめとする医療者側とのコミュニケーション不全によって生じるという指摘は重要であろう。医師が一人一人の診療に時間が充分にとれないせいか説明をはしょってしまう、せめて不快な思いをさせないように笑顔で患者にとって決定的に悪いニュースを説明してしまう、結果的にそれが大きな誤解のもとになってしまう、医師の日常と患者の非日常とのギャップがそこにある。病院に紹介したり、他の転院することが見放されたと曲解してしまう、みすてたわけではないと医師が充分に時間をかけて説明していないようだ、その通りである。現実をみてきた著者ならではの観察である。数人の医師とコミュニケーションがとれなかったらそれは患者の側にも問題があるかもしれない、医師もそう感じることもあるが、そんなことは現在の風潮では公に口にはできない。患者側から言っていただくほうが遥かに角がたたないので、この様な論点は貴重である。
実際の医療を毎日行っている立場としては、著者のような自立志向の患者であれば、医師も本来そのほうがやりやすいので、インフォームドコンセントに基づく診療関係を築いていくようになろう。先生に全てをお任せしますという時代はおわった、そうならばわかりやすいが、実際の患者は現実の社会でのあらゆる背景をもってますので、現時点では簡単ではないと感じているのは私だけであろうか。医師であるからには個々の患者とそのご家族の状況にあわせて、変幻自在でないといけない。そのような点で医師側のコミュニケーション技術はさらに難しい。
医師をはじめとする医療者が肉体的にも精神的も疲弊しないで、医療を実践できるように医療サービスのセッティングを改善することが質のよい医療を実現するためには大切だということは、医療者側も患者側も感じていることだと思う。しかし、本書でも述べられているように医師だって腹が減る、腹が減れば怒りっぽくなる、何十人も外来を連続してみて終了予定時刻になってまだ30人いたら気力もとぎれるだろう、当直で重症患者を受け入れてそのまま翌朝手術にはいる、そこで正しい医療判断ができるのだろうか、あるいはピザの宅配便のように24時間医師が呼びつけられるような在宅医療を生涯続けられる医師はいるだろうか。医師も万能で絶対に疲労してミスすることのない神様やロボットではなく有限な人間であるとの指摘はいままであまりされていなかった。この点についても自立できない患者の章で一部述べられている。医師の研修や勉強のための精神的、時間的余力を担保するにはどうしたらよいか、などについても患者側からの発信を期待したい。